「み仏のひかり」  スティブストン仏教会会報          20077月号

住所4360 Garry Street, Richmond, B.C.  V7E 2V2  CANADA 電話(604)277-2323

4                                      7月行事予定

4                                      8月行事予定

  1() サーモンフェスティバル内で情報コーナー(礼拝お休み)

  5()  午前10時半 日曜礼拝(開教使不在)

 (8() 午後2時   バンクーバー仏教会お盆(礼拝お休み)

  8() 午後2時   日系プレイスお盆法要&盆踊り

  9() 午後7時半 役員会

12() 午前10時半 日曜礼拝(開教使不在)

14() 午後6時     ポットラック・ディーナー(ギブス開教使)

13() 午後7時半   役員会

15() 午後2時     お盆&祥月法要 講師:ギブス開教使

19() 午前10時半  祥月法要(予定の12日より変更)

           午後6     盆踊り

26()  日曜礼拝

20日―89日         龍谷学園英語講習会

 

22日(日) 礼拝お休み

 

29日(日) 午前10時半 日曜礼拝(開教使不在)

 

4    31()   11:50-1300 シニア&龍谷学園生徒交流会

 

 

* 役員会がある週の釋氏開教使の休日は 通常の月・火曜日より火・水曜日になりますのでご了承下さいませ。

* 仏教会会員の方には釋氏開教使の七・八月中の不在日程や連絡先について、月報と同封した別紙でご案内しています。

 

 

ことばの知恵を超えて

 

 大分暖かくなりましたが、「地球温暖化」という問題を考えると、「ええ陽よりやねぇ!」と手放しに喜べないなぁという方も多いかもしれませんね。仏教では、すべての命は「もちつ、もたれつ」の世界にあると生命の連帯を説きますが、このような混沌とした時代だからこそ、お寺にちょっと足を運びお念仏のみ教えに耳を傾ける事が大切なのではないでしょうか…。

 さて、今月は先般祥月法要で皆様にお話しをした、「ことばの知恵を超えて-同行三人」(1993年出版)という作家・高史明(コ・サミョン)さんの本をご紹介させていただきます。高さんは1932年生まれの在日朝鮮人二世で、この作品は一人息子の真史君への語りかけの形で書かれており、第二章は1972年7月17日のある出来事から始まっています…。

きみはラーメン屋から帰った後、ちょっと学校に用があるとかいって、出掛けていったのだった。…わたしたちが不安を覚えはじめたのは、あたりが暗くなりはじめてからだったと思う。…「警察に電話してみよう!」 警察から電話があったのは、その直後だったと思う。…(警察は)とにかくすぐきてほしいとだけいったのだが、わたしたちは最悪の事態を予想しないではおれなかったのだ。…警察署の薄暗い一室のベッドに、きみはジーパンにねずみ色のシャツ姿のままで横たわっていたのだ。…だが、きみはその優しい天使のような顔のままで、息をしていなかったのだった。…マーちゃん、きみは棺桶に横たわる身になって帰ったんだよ。パパとママは、棺桶の両脇に寄り添うように身を投げた。なんという川の字であることか。…パパはその優しい君の顔を見つめながら、慟哭の嵐に翻弄されつづけたのだった。泣きながら、何事かを、きみにうわ言のようにいいつづけたのだ。

高さんの息子12歳の「マーちゃん」は、高層マンションから飛び降りたのです…。そして高さんはその深い悲しみの夜が、若い頃に読んだ『聖書』と『歎異抄』という宗教からの声との出会いだったと後に述べていらっしゃいます。マーちゃんの葬儀後、高さんは『聖書』から、その声の言葉をすぐ見つけ出しました。しかし『歎異抄』に何度向かい合ってもそのままの形の言葉はどこにもなく、かえってそれが高さんをより『歎異抄』に向かい合わせる縁となるのです。高さんは「パパは、そのどこにも探しあてることのできない言葉を求めて、『歎異抄』の前に座りつづけたのであった。…秋の深まる頃には、その一字一字を、胸底に刻みこもうとするかのように写しとるようにもなるのだ。…マーちゃん、パパは、この恐怖と涙と祈りに震えながら、その年の秋を迎え、それを送り、さらに冬を迎えたんだよ。そしてきみがいなくなってから、最初に迎えたお正月のなんという寒さだった事か。」と、お正月前におこった事を次のように述べていらっしゃいます。

ママが、突然のようにいいだしたんだ。「ねえ、わたしたち、…奈良と京都をまわって、仏さまのお顔を拝んできましょうよ。仏さまに、マースケのことをお願いしてくるのよ」後になって気づいたことだが、ママのその言葉は、家中に張りつめていた危険な冷気を、いっきに突き崩すきっかけになるんだね。…もし、その師走の夜、ママのあの言葉がなかったら、わたしたちは真っ黒い奈落にまっすぐ堕落してしまったのではなかったろうか、とね。実際、わたしたちには、そういう危機的なときが、何度もあったんだ。ママは、進入してくる電車に飛び込まないために、駅のベンチを両手で固く握りしめたことが、何度もあったというものね。パパの方もそうだった。何もかもが恐ろしいほど空しくなって、幾度となく突然に破壊的な情念の虜になったものなんだ。

それから高さん夫婦は、奈良と京都の寺院を訪れ、最後に偶然本願寺に到着し人生の大きな転換を迎えるのです。京都駅を発つ列車の時間待ちをしようということになったとき、わたしたちは、かつてそこにきみと一緒に座ったことがあるのを思い出したんだね。…パパたちは、一度は物珍しそうに御堂の畳に座るのだが、すぐに外に出てしまうのだ。ところが、(四年生の)きみの方は一人で、親鸞さまのお像の前に進みでていったんだよね。ちょこりんこと正座して、しかもきみは実に長い間、手を合わせていたんだ。…(我々のお参りが終わり、)御堂の障子のくぐり戸をくぐり出ると、不意にママが耳元でいったのだった。「どうだった?親鸞さまは、マースケのこと、何とおっしゃった?…わたしは、親鸞さまにもお願いしたの。マースケがそちらに参りました。まだ、13歳にもなっていなかった子です。どうかよろしくお願い致しますって…」…パパは、まるで考えてもいなかった言葉を口にしてしまうんだな。「そりゃ違うよ。少し違うように思えるな」とパパはそういったのだ。…パパの脳裏には、そのとき暗い一群の言葉が揺れ動くように浮かびあがっていたのだった。マーちゃん、きみは『歎異抄』に次の言葉があるのを知っているだろうか。「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり…」

そして、高さんはその歎異抄の言葉により、念仏の道を息子さんと共に歩み始めたのです。…

親鸞さまはつまり、ここで広大無辺のいのちの縁を説いておられるんだね。…念仏とは、仏さまの“知恵”だったのだ。人間は、この“知恵”に導かれることを通してはじめて、いのちを私物化し、広大ないのちの海を見失っている自らの闇に気づかされてゆくことができるんだ。…マーちゃん、人間とは、知恵あるがゆえに、真実のいのちを見失っているんだね。それが人間の苦となるんだと思う。…現代世界は、その上べにおいて見るなら、たしかに平和で幸せに満ちているかに見える。とはいえ、それは極めて薄い薄皮の表面のことではないだろうか。その薄皮を、ちょっとでよいからめくりあげてみるがよい。そこには、地獄の様相が繰り広げられているのだ。

高さんはこのあと、『阿弥陀経』の「五濁」の部分を引用され次のように述べられています。

『仏説阿弥陀経』は、人間世界を五つの濁りに侵された世界だと見ているんだね。「劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁」とは、その濁りをあらわす言葉だ。…パパの身心の闇とは、まさにこの五濁という言葉でもってぴったりといいあてられているといっていい。そしてそれはまた、人間世界の濁りにほかならないのだ

さらに高さんは、人間の濁りそしてその闇ということについて、以下のように語っていらっしゃいます。

人間は、自然からきた者でありながら、自然に背を向け、自然から無限に遠ざかってゆこうとしている存在だったんだよ。この人間は、この先どこに向かうのであろう。思えば、マーちゃん、きみもまた、いつしかこの人間の黒闇にただ一人立たされていたわけだ。きみの四年生のときの愛読書が、『星の王子さま』だったのは、その証であったと見たい。…つまり、サン=テグジュペリは、大人の知恵とは、ものそのもの、ことそのことが見えない知恵だといっているんだよね。大人の知恵とは、まさに言葉の知恵にほかならない。…人間を人間たらしめる知恵が、人間の黒闇となるのは、何ゆえのことであるのか。…人間と自然、人間と人間の分裂は、いまや恐ろしいほどの黒闇となっているといっていい。…地球の破壊は、すでに恐ろしいほどのものになっていると見てよいのだ。しかも、それが、人間の知恵の量の増大と合い重なってのことなんだよね。時代はまさに末法の極に至っているのだ。…人間はなお、人間の知恵中心の黒闇をみつめ、ついに奈落に堕落するのか。それとも深い慚愧を戴くことを通して、新しい知恵の完成へと向かうことができるのか。親鸞さまの慚愧は、その新しい知恵の道への道標であると思う。…パパは、その道に進み出たいと思う。そこにはマーちゃん、きみがいるのだ。ママもまた、その道を歩んでいる。それはわたしたちの道なんだよね。私たちは、罪業深い黒闇の身であるがゆえに、そのいのちの道へと、歩みを進めるほかないのだ。三人一緒にだ。

そして最後に…高さんはこの本を、次のような言葉で締めくくっていらっしゃいます。

パパはきみとともに歩みはじめて、すでに18年近くの歳月を経ながら、なおその人間的な内実を、少しも深めることができない人間なわけだ。その汚辱の深い人間的な内実は、きみが生きてきたときと一向に変わっていないというほかない。いや、パパの心身の濁りは、いっそう深くなっているのではないかとさえ思えるほどだ。

とはいえ、いまのパパには深い願いがあるのだ。親鸞さまの「慚愧」を戴きたいという心からの願いがあるのだ。その願いとともにパパは、自分の心身の内外に「自然の真実」を、ほのぼのと感じるんだね。そこにマーちゃん、きみもまた、いるんだ。姿のないきみが、姿のないままで、共に歩んでくれているんだ。

マーちゃん、ありがとう。ありがとう。これで最後だ。マーちゃん、また会おうね。今度はこっちからそっちにいってもいいと思うんだな。

マーちゃん、ほんとうにありがとう。じゃあ、またね。

 1972年の自殺から数年後…マーちゃんが部屋に残した沢山の詩は出版をされ有名になりました。そして私の両親がいた本願寺合唱団が1980年頃その詩と歎異抄に曲をつけ演奏会で発表し、同時期にその死はNHKでドラマ化もされ…当時小学生だった私の心にマーちゃんの言葉は、歌や映像を通して心に刻みこまれました。そして真夏の大空に鳥のように必死にはばたこうとした…そのマーちゃんの最期のまぶしい姿が、透明な響きの詩と共に今も脳裏から離れないのです。

我々が予期せぬ苦しみに出会ったとき…たとえそれが「愛する者の死」という、耐えられぬ程の痛みであったとしても、その苦しみの底で出会う親鸞聖人の言葉は、「念仏」という仏さまの智恵の光との真の出会いを与え、その暖かい光が大きないのちの世界を照らし、人間存在の闇をも映し出し…いつの日か、我々をこう言える様に転じて下さるのです。「ありがとう。じゃあ、またね。」という、生死を一望に見渡した浄土への確かな足取りの…。合掌 釋氏真澄                                                                       



盂蘭盆会法要 

715日(日) 午後2時より

 

日本では昔からお盆の行事は大切に受け継がれており、当寺でも、毎年先祖や亡き故人を偲び厳粛に勤め、おみのりをお聞かせいただく「盂蘭盆会法要」、そして「念仏踊り」を起源とした「盆踊り」(午後6時より)のご縁に会わせて頂いています。どうかお子様やお友達もお誘いいただき、この素晴らしいご縁にたくさんお参りくださいませ。(法名カードや過去帳がありましたら、このご縁にご持参ください)

また前夜、七月十四日()午後6時よりギブス一家をお招きし、お寺でポットラックディナーを行います。どうか、ご参加ください。

 

 

カナダ教団ニュース

 

早いものでもう今年も半分が過ぎようとしていますが、法友の皆様にはご健勝にて、お念仏とともにお過ごしのことと お慶び申し上げます。去る五月京都で世界浄土真宗連絡協議会が行われましたが、例年ですと、北米、 ハワイ、 ブラジル、 そしてカナダの四教団と本山による会議でしたが、今年はオーストラリア、メキシコ、 台湾、 ネパール開教地からの代表が出席し、賑やかな雰囲気で、本願寺もいよいよ国際伝道を強力に推進されんとする意欲が伺えました。伝道と言えば、先日カルガリーでの総会の時も述べましたが、仏教が中国に紹介されたのが紀元一世紀の頃で、それから大変な翻訳事業の結果、約500年後の隋、 唐の時代にようやく仏教及び仏教文化が盛んになりました。その頃、 日本から遣隋使、 遣唐使が仏教文化を持ち帰りました。当分は学問仏教、貴族仏教でありました。真の意味で日本人の仏教となったのは鎌倉時代に起こった浄土、禅であります。実に600年、700年の月日が経っています。そういう歴史を振り返ってみる時、カナダに浄土真宗が入って約100年。この仏教が北米大陸で主流となるには、子供から孫へ、ひ孫へと続いて少なくとも200年、300年の時間がかかるはずであります。伝道において大切なことは、自分がまず念仏を頂き喜ぶこと、そしてそれを家庭で、社会で分ち合うこと、それがなかったら、真の伝道にはならないと思います。頭だけでの仏教ではなく、手や足の仏教でなくてはなりません。それぞれが自分の持ち場で念仏生活をして行くことが大切なことでしょう。       

 合掌。南無阿弥陀仏。釈 往来

 

 

シニア&龍谷学園生徒の交流会

7月31日(火)1150分から1

 

来る720日に、龍谷総合学園(日本全国にある浄土真宗宗門校)の高校生18名が、約3週間語学研修のためお寺にいらっしゃいます。この研修は語学だけでなく、BC州の日系カナダ人の歴史を学び、お寺のシニアメンバーの方々との交流も深めるのが、研修の目的だそうです。今年は西本願寺からシニアの方々に特別依頼があり、ジムでランチ交流会を企画いたします。シニアの皆様方には、是非昔の写真思い出の品などを持ち寄って頂いてたくさんご参加いただきたいと思います。なお、生徒さん方は、質問もいくつか準備されるそうですので、お気軽にご参加ください。

なお、ランチは無料ですが、参加人数を確認しますので、申し込みは事務所の方か、釋氏開教使までお願いします。

 

 

今年度の年忌法要について

 

今年になりまして年忌法要について問い合わせが数件ありましたので、参考のために年忌表を掲載します。又、「なぜ3とか7とかいう数字なの?」という事もたびたび聞きます。中陰法要や年忌法要の決められた日や年は、インド、中国、そして日本を起源とするもので、実は諸説が存在します。中陰(七日ごと七回お勤めを49日まで行うこと)思想は、インドで昔からあるものだそうですし、中国で仏教に様々な思想がその中に入り、そして日本の思想もそこに交わり、歴史を経て年忌の法要も現在の様な形になっていったそうです。ここで、年忌法要成立の歴史から我々が学ぶべき点は、昔の方々は、亡き方を慕い精神的な繋がりを、このような法事を通して持ち続けることを、本当に大切にされてきたということです。そして、決して忘れる事のない、「おかげさま」という故人への感謝の気持ちが形になっていったのが、現存する法事となって現代にも残り、いまだにこの法縁は人々に別離の痛みへの癒しと生きる指針を与え、我々の生活に大きな意味を持ち続けていると思います…。

日本では毎年(毎月)命日にもお勤めも行いますが、年忌法要は特別な法要で、家族や親族、友人が集まりお寺か自宅で勤め、その後お斎(おとき:食事)を共にして交流を深める伝統があります。特に浄土真宗では、このご縁に故人への感謝の念をあらわす中で、「生かされているいのち」を、仏法に味わう機会でもあります。

どうか、若い方もお誘い頂きこの大切なご縁を受け継がせていただきましょう。また海外の寺院では、「祥月法要」にて、毎年命日の月に、遺族の皆さんやご縁のあった方々が、お寺にお参りし法縁を結んで頂いております。

(地方によっては、三・五・七のつく年毎、十年毎に勤める場合もあります。中陰(四十九日まで七日七回の法要)、百か日法要も行います)

なお詳細、質問は釋氏開教使まで…

 

死亡年   2007年の年忌法要

2006年   一周忌

2005年   三回忌(この法要から1年プラスします)

2001年   七回忌

1995年   十三回忌

1991年   十七回忌

1983年   二十五回忌                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

1975年   三十三回忌

1958年   五十回忌 以降50年毎

婦人会ニュース - 吉原 ひろ子

 

*フードフェアー

天候にも恵まれ、そして何よりもお当番1組の皆さんの熱心なご協力を得たにもかかわらず、今年のフードフェアーの売上げは、例年と比べると残念なことに今ひとつでした。前売券を発行しなかったのが、今回のこのような結果になったのかと思われます。でもこのイベントのお陰で、皆さんとの交流がより一層深まったかのようにも思われます。皆さん、ご苦労様でした。

 

*婦人会バス旅行

去る619日に予定されていたバス旅行は、シニアクラブのSkagit Casinoバス日帰り旅行の日程とあまりにも日にちが近すぎたため、勝手ながら中止させていただきました。このバス旅行はもともと、メンバーの方々への日頃のお礼として計画しておりました、Strawberry Tea (お茶会)がオリジナルのイベントでした。バス旅行が中止されてしまったので 次のイベントとして、婦人会ピクニックの提案が上がっています。皆さんからの来年度のバス旅行の提案、是非お待ちしております。

 

*お盆

法要後、ビュフェスタイルの簡単なお食事会を開きます。どうぞ、皆さん奮ってご参加下さい。

 

 

あの方はどなたですか?

Who’s Who at our Temple

 

今回ご紹介する方は皆さんもとてもよくご存知の方、 パット・イエットマンさんです。背の高さと、渋い声、この2つの特徴だけでなく、彼の人に対しての思いやりはもってのほか、素晴らしいキャラクターの持ち主です。ニューファンドランドのご出身ですが、1963年のバケーション以来この土地の気候に魅せられて住み着いてしまったそうです。そして1966年には山岡ジーンさんと知り合い、1971年に2人はこの仏教会にて岡田先生司婚のもと結婚式を挙げられました。現在は、チャダム通りでSteveston Pure Water shopを営むパットさん。 そしてジーンさんはリッチモンド市役所税務署に勤務され、30歳と33歳になる息子さんがいらっしゃいます。今では日曜礼拝や毎週行われているBingoのボランティアーなどでご活躍されています。

 

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日曜学校ニュース - 堂前 礼子

 

6月17日生徒達は父の日の為に巻寿司作りをし、大成功でした!ご指導頂いた坂本キャシーさんに感謝します。その後生徒達はゲームを楽しみ、それぞれ商品を持って帰りました。今年の日曜学校に参加してくれた生徒さん達に感謝します!9月に会いましょう!

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新会員

 

下記の方が 新会員となられましたことを喜んで、ここにご報告申し上げます。今後は種々の法要をはじめ、社交、娯楽等の活動をご一緒に楽しみたいと思います。

✥ 手塚 やすこ 様 

 

 2007年度の会費は お一人様70ドルです。

 

➧電信メールでニュースレターを受け取りたい方は、お寺、又はsbt@shawlink.ca迄ご連絡ください。

 




20077月の ニュースレター (PDF)

ニュースレター記録

2007 年7月の ニュースレター (英語)

スティーブストン仏教会